2004.11.17

おもいでのかけら・・・

失ったものを取りかえすより、大切にしまってあったものを開いてみる・・・

私は今、たぶん、恐らく、ネット恋愛してると思う。その相手は、数年前に別れた元彼。
またこうして、連絡を取り合えるメル友になれるとは、夢にも思ってなかったから・・・

うれしいっていうのと、正直またこんな、淡い優しい気持ちになれた自分に驚いてる。

ある事件をきっかけに、お互い辛くなって、別れた過去がある。だけど、それは辛くて
別れたんじゃないと・・・最近気がつき始めた。辛かったんじゃなくて、現実の出来事を
受け止められる勇気がちょっとだけ、足りなかったという若気の至りだったのではと。。

でなければ、また連絡を取り合える関係になんて、なっていないはず。

私だけが、悲劇のヒロイン気取って、自分だけが辛く深く傷ついた・・・と思っていたけ
れど、それは元彼の心にも、大きなしこりを残していたのではないかと、気づいた。

気づくのが遅かったのかもしれないけれど、今の私だからこそ、そのことに気づけたん
だと思う。だから、別れたことは今まで後悔してたかもしれないけど、今はお互い別々
の人生を歩んできたことを、心底よかったと思えるまでになってきたから・・・。

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2004.09.20

現(うつつ)と幻の間は・・・・・

             今朝は
             涯(はて)しなく楽しい夢だった
             だが 目が醒めると
             一瞬に幻と消え去った


             昨日は
             恐ろしい 何かに追われ
             いつまでも脳裏に残る夢だった


             だれも作用しないのに
             頭脳いっぱい暴れ遊ぶ「空」の転回


             霞におおわれた山野の奥
             一人ぼっちで彷徨い歩く 私の姿
             遠くから ただ 見ているだけだった


             そんな夢を見た日は
             現(うつつ)と幻のほとりを
             行ったり来たり していたのかな


             夢をみるならば
             妙なる夢を みたいものだ


             パソコンのやりすぎなのかな

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2004.08.03

熱血!暴走族自伝~完結

12.gif前回までのお話し
    PART 1
    PART 2
    PART 3
    更生その1
    更生その2
    更生その3

とにもかくにも、定時制の高校しか道がなかったが、過去の経歴を全て承知の上で
私を受け入れてくれたのである。

どんなにがんばっても、過去の過ちは消えない。一生ついて回る。大事なことは二
度と同じ過ちを繰り返さないことである。ということを、私自身が肝に銘じた。

不思議なことに、定時制高校は自分の肌にあった。老若男女問わず、そこには学
問を追い求め、賢明に生きている人間模様が描き出されていた。高齢の方もいれ
ば病弱な方もいて、自分と同じような経歴を持つものもいれば、平凡な主婦の方も
いた。だから人間的な勉強も、言わばここで学んでこれたのである。

次第に私は「ここにこれて、良かったんだ。」と思えるようになった。わずか22名の
クラスであったが、全員仲が良かった。一時は不幸に思えた出来事も、こうして振
り返れば不幸ではなく「幸運」だったことに気づく。現実は、そんなことの繰り返し
なのかもしれない・・・。要は、自分の気持ち次第であると言うことだ。

私はとにかく勉強した。昼は運送会社でのバイト、夜は学校、帰宅してから予習・
復習。寝る間も惜しんで勉強の虫になった。成績は卒業するまでトップだった。

こうして4年間、勤労苦学生生活を送り、卒業証書を手にした時の喜びはひとしお
だった。クラスの仲間と離れることは淋しかったが、共に苦労してきた大切な仲間
たち。別々な道を歩んでも、心は離れることがなかった。今でも2年に1度は必ず
恩師を囲んで、同窓会を行っている。

私は、福祉系の4年大学へと進んだ。定時制で4年間バイトしてきた資金は、全て
この大学の費用に当てた。これ以上、両親には苦労をかけたくなかったから。

大学受験は学校側の強い推薦もあり、成績も良かったことから、福祉では名高い
名門校へ、推薦で受験することができ、特待生として合格を手に入れることができ
た。だから、入学金も4年間の学費も免除という高待遇での出発。自分の貯金は
新生活を始めるための資金に回り、両親は飛び上がって喜んでいたのを今でも忘
れることが出来ない(笑)。

元暴走族の総長が大学生だなんて、今となっては笑い話だが、ついに私は世間を
あっと言わせる方向へと進むことになる。

大学は遠方、初めての一人暮らし。しかし、不安よりも希望に満ち溢れていた。
定時制高校へと通いつつ、私の将来の目標が明確となったいたからだ。

こんな自分でも、人を支えてあげることのできる仕事がしたい。社会的に立場の弱
い方々の味方になりたい。福祉という奥の深い現場の中で、幸福の追求をしてみた
い。生きることの素晴らしさをもっと知りたい。そう、強く思うようになったから、この職
業が自分の天職とさえ思うようになったから、この道にかけようと決めたのである。

大学では勉強も一生懸命したが、遊びも熱心にやった。ゼミやサークルにも没頭し、
ここでもいい仲間にめぐり合えた。その中でいくつかの恋愛も経験したし失恋もした。
大恋愛の末、大失恋した時、私は対人恐怖症となってしまい、ついには鬱病になっ
てしまったこともある。鬱病は長かった。社会人になってからも中々脱皮できなかっ
たから・・・。

この話しは長くなるので、あえてここでは記さないが、別の機会に記事にしたいと思
っている。(現在鬱は、ほとんど克服できている。)

大学を卒業した後、念願であった福祉関係職へと就いた。様々な福祉系資格を取得
し、現在は総合的な業種をこなす仕事に従事している。また、マンパワー(福祉の人
材)の育成も手がけるまでになったし、部下もいる立場にもなった。私の仕事を評価
してくださる後援会もあり、年に数回学校機関をはじめ、いろいろなところにも講演に
いくようにもなった。

ここまでくる道のりは、決して平坦なものではなかったが、人よりもあえて遠回りをした
おかげで、私は今の自分があると思っている。これからも、常に何かにチャレンジして
更なる自分自身の成長を課していきたいと思うのである。

苦労こそ宝。逆境こそ肥やし。どん底になったら、あとは上を見て這い上がればいい。

人生、遠回りしたっていいじゃないか!自分らしく輝いていけば・・・・・。

~完~

※長い間、この自伝にお付き合いくださってありがとうございました。


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2004.08.01

熱血!暴走族自伝~更生その3

12.gif前回までのお話し

暴走族の頭やってた頃には気づかなかったが、普通の生活というものは実に退屈
なものだと感じた。もちろん馬鹿やってはじけてた頃は、毎日が刺激的な生活だった
から、退屈と感じてもおかしくはないのだが、まずはその普通の生活に慣れるための
努力をしなければならなかった。

1つの希望を見出して、来春の高校受験を目指して走り出した私は、1日中、机に向
かって勉強する日々が続いた。なんせ、まともに学問を受けてこなかったし、中学校
はほとんど学校へは行かず、暴走族の道に入ったため、基本中の基本から勉強しな
ければいけなかった。数学は小学校4年生の分数から、英語はABC・・・からはじめな
ければならないほど、全く基本が身についていなかった。それでも独学で、何とかかん
とか方程式や関数、英語の文法・読解力、国語の漢字、日本史、世界史、公民、物理
と、必死に追いかけて高校受験には間に合わせていった。

受験までの数ヶ月間は、平凡な毎日だった。まるで、暴走族→鑑別所→解散→入院
という道筋が幻であったかのように・・・・・・。

平家物語の「つわものどもが夢のあと」の一節のようだった。

年が明けて、受験の体制が本番をむかえようとした頃、ショッキングな話が舞い込んで
きた。それは、「私を受け入れてくれる全日制の普通高校は1校もない」ということ
だった。要は過去の経歴がじゃまをして、どの高校も私をお荷物としか見ていなかった
ようである。受験でどんなにいい成績であっても、合格点に達していても、うちの高校に
来てもらっては困る・・・。というような見解あった。

私は変わったんだよ!もう、昔とは違う!真面目になったんだから!

と、どんなに声を大にして言ってみても、状況は変わらなかった。

またしても・・・社会は私を裏切った。のけ者にされた。そんな感情が噴出してきて、そ
の時はだだ、泣くしかなかった。仕方なかった。

この悔しさをバネに、いつか必ず更生して世間をあっと言わせてやりたい。
こんなことで負けるもんか!自分で道を切り開いてみせる!

私の闘志が別な方向へと導いた。

絶対に負けない!自分に負けない!他人と比較しない!比べるなら昨日の自分
と今日の自分だ!!どん底から這い上がれ!

と、自分自身に言い聞かせ、私は定時制高校の門を自らたたいたのである。

それは、族をやめてから1年が経過していた。真冬のとてもとても寒い日であ
った。日中でも気温が上がらない氷点下の世界。だが、私の心は闘志で燃え
ていた。

まだ見ぬ将来・未来に向かって・・・・・・・。

つづく

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熱血!暴走族自伝~更生その2

12.gif前回までのお話し

精神科の病院へ入院した私は、医師の指示通り素直に治療を受けた。安定剤や眠剤
も服用。日に日によく眠れるようになっていった。シンナー中毒にやられて震えが止ま
らなかった体は、次第に落ち着きを取り戻し、入院してからわずか1ヶ月で食事もおい
しく食べれるようになっていった。そして閉鎖病棟から一般病棟へと移ったときは、ごく
普通の女の子になっていたのである。

胃腸障害・肝臓障害も合併していたので、その治療にも専念した。シンナーとは恐ろし
い第二の麻薬である。私ももうちょっと・・・という境界線で、あやうく脳障害にまで発展
するところであった。医師からは、脳に障害が残らないのは奇跡とまで言われたぐらい
だからだ。

もう、シンナーはやるまい。二度とやるまい。絶対にやってはいけないことなんだ!と、
これらの病的事項を医師から告げられた時に、改めてシンナーの恐ろしさと現実を垣間
見た。と同時に、なんて馬鹿なことをしてしまったんだろうと後悔もした。

私にはもう1つ、心のケアも必要であった。族の総長という立場を退いて、全てが空っぽ
の抜け殻状態になっていたからだ。病院では、私の担当をしてくれたワーカーさんがい
た。その方が私の話しをよく聞いてくれた。

多分、そのワーカーさんの影響もあったんだろう・・・。そのころから福祉とかカウンセ
ラーなどに興味がわいた。今の私の仕事のベースになっているのは、このワーカーさ
んとの出会いであろう。

私は大人が嫌いであったが、このワーカーさんや鑑別所にて私の巣立ちを後押しして
くれた婦人警官さんらとの出会いにより、大人も捨てたもんじゃないと思えるようになっ
ていった。

人間、出会いが大事である。それもいい人との出会いじゃなければいけない。

私は幸運にも、このようないい方たちとの出会いにより、支えられてきたお陰で、今を生
きていくことが出来る。その出会いには、本当に感謝したい。

さて、心も体もそこそこ元気を取り戻した私は、入院してからわずか3ヶ月間で退院する
ことが出来たのだ。退院したその日に、母親にお願いをして、本屋さんへと連れて行っ
てもらった。元暴走族の総長が、本屋さんなんてガラにもないが(笑)、何かを求めたか
った。

いよいよ本気でこれからのこと、将来のことを真剣に考えていこうと、立ち寄った本屋さ
んで、参考書を買いあさった。そう、私は高校受験を決意していた。来春目指して・・・。
一生懸命参考書を選ぶ私の姿を見て、母親はひそかに涙していたのを見逃さなかった。

少しずつだけど、一歩一歩進んでいこう!前だけ向いて歩いてみよう!そう誓いながら
高校受験のための参考書を選んでいた。

普通の人よりも2年遅い桜が咲く頃に向かって・・。

長雨の降る、とても陰気な日だったが、私の心は晴れていた。この空模様のように、
これから迫り来る怒涛のような苦悩もあるとは知らずに、陽気にただ、はしゃいでい
た。

現実はそう、うまくはいかないのだから・・・・・・。

つづく

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2004.07.31

熱血!暴走族自伝~更生その1

12.gifこの自伝を書き始めてあれから随分と時間が経ってしまった。また、再び・・・

前回までのお話し
 PART 1
 PART 2
 PART 3

鑑別所を出た私が一目散に向かった先は、族の仲間のところだった。再び以前の
生活に戻るためではなく、再起をかけた出発のために・・・。

私はその日のうちに、R族の解散を命じた。みな文句は言わなかったが、泣き叫び
崩れる者がいたり、硬い握手を交わす者もいたり、様々であった。「真面目な人生、
生きてこーや」「お前らにもいいとこ、必ずある」と、叫んでいた私が実は1番涙が止
まらなかった。仲間は好きだった。大好きだったから・・・。真っ当な人生を選ぶことが
こんなにも勇気のいることだとは思いもしなかった。

「必ず、必ず、生きて、またどこかで会おう」そう言いながら、みんな重い足取りで家路
へと向かっていった。

家族のもとへと帰った私は、両親に土下座をして深々と今までのことを詫びた。不思
議と両親は怒りもしなく、温かく迎え入れてくれた。そして、仏壇の祖母に手を合わせ
た。「ばっちゃ、ごめんね。これから真面目に生きていきます。」と言った瞬間、心が軽
くなったことは今でも記憶に残っている。後ろめたい気持ちがなくなったからであろう。
その日の夕食は、家族水入らずで数年ぶりに楽しい食事となった。

しかし、私の体は、シンナー中毒の症状であちこちやられていた。深夜になるとやは
りシンナーを求めて体が震えだし、朝まで一睡もできない日々も続いた。まずは普通
の健康状態を取り戻すことが、1番の更生であった。両親の心配とすすめもあり意を
決して私は病院への入院を決断した。精神科の病院である。

精神科の病院にはアルコール依存症に悩む患者さんも数多く入院していた。私の入
った病棟は「閉鎖病棟」だった。独房と同じくらい狭い空間で、窓には鉄格子が置かれ
ていた。私はここで再び、自分の心の葛藤と戦うことになるのである。

もうすぐ早春を迎えようと、ふきのとうが顔を出し始めていた2月の下旬、私は本当に
生まれ変わる決意をしていた。

16歳、大人への階段をようやくのぼり始めようとしていた。

つづく・・・・・

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2004.07.20

暑さの思い出 in 東京

k-ajisai.gif東京では本日、39℃以上の暑さを記録したというではないか!すげ・・
聞いただけでもあつい、あつい~人間の平均体温以上だもんね。

私が住む、ここ北海道某市は、今日は24℃・・・比較的過ごしやすい気温。
曇っているので若干寒い感じもする。暑くて死にそうなくらいうだってる本州
方面の皆様には申し訳ない限りだが、とにかく今日は過ごしやすい!(笑)

ちょうど1年前の今時期、私は東京へ1週間ほど出張で行っていた。やっ
ぱ、そのくらい気温はあったと記憶しており、極暑に慣れていなかったので
ヒーヒーフ~フ~言って、「仕事なんかできるか!つったく!」と、怒っていた
ような思い出がある(>_<)。

仕事は3日間しかなかったので(笑)、残りの3日間は優雅に遊びまくったわ!

出張費で! (^_-)-☆

朝からビールをがぶ飲みして、昼も飲んで、夜はワインか日本酒飲んで、1日
中アルコールづけ。。。けど、汗ですべて流れ落ちてった。(爆)

お台場冒険王行って、六本木ヒルズ行って、秋葉原行って、品プリでケーキ
バイキング。八王子も行ったし、ディズニーシーも。。(楽しかった (^_-)-☆)

おかげで、最終日は飛行機乗り遅れるとこだった(笑)。モノレール遅くてイラ
イラしたわ!やっぱ、京急じゃなきゃだめね~。

私と一緒に出張に同行した部下は、芸能人見たさにお台場にはりついてい
たが、結局「湾岸くん」にしか接触できず、キーキー言って怒ってた。(~_~;)

北海道に戻ると、世界は一変!肌寒い・・・・・このギャップのおかげで、私は

風邪ひいたのでした。。。夏かぜ。。。

同じ日本なのに、どしてこうも違うの・・・気温、気候。今時期の東京は、ダイエ
ットに最適~~。あんなに飲んだくれていたわりには、少々痩せていた(笑)。

今年はまだ、東京への出張命令が出ていない。いつでもこい!って感じだ。

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2004.06.13

熱血!暴走族自伝~PART2

前回までのお話し

レディースの総長になってからは、毎晩のように街を単車で流し乗った。

ZOKU2.jpg この写真もそんな無謀時代の1コマ。

ここ(族のこと)の組織はどんな組織よりも、義理と人情にあふれ、居心地が
良かった。自分の指示や命令には全員何があろうとも、絶対に従う。幹部連
中も、私によく尽くしてくれた。1000人をまとめあげるのは容易ではなかった
が、1度こういう快感を味わってしまうと、いけないことと分かっていても中々、
組織を抜け出せなくなる。

本当は、族を抜けたかった・・・卒業したかった。

祖母の夢を見たから、やることが派手になればなるほど、ばかや無茶をすれ
ばするほど大好きだった祖母の夢を見た。

だから、族を卒業したかったんだと思う。

そんな思いを振り切るために、毎日毎晩、騒音を響き渡らせた。警察も私らを
野放しにするはずがなく、ついには監視されるようにもなり、特に私を要注意
人物とし、警告を発したほどだ。

それにますます反発・反感を燃えあがらせ、悪いことのツボにはまっていった。

そんな時、仲間4人が交通事故を起こし、この世を去った。スピードの出しすぎ
で、中央分離帯に激突。車は大破し、4人とも即死だった。運転していたヤツ
は酒気帯び・免許不携帯。事故を起こしに道路に出たようなものだ。

ショックだった。仲間を失う痛手は大きかった。

しばらく街を流すのをやめるよう命令し、私自身もたまり場でシンナー付けの
毎日を送った。シンナー中毒で身も心もズタボロになっていた。

だれか助けて!!!     そう、いつしか心の中で叫んでいたんだ。

自分ではもう、どうすることもできない身を、きたない壁にすり寄せて・・・・・

背中合わせの壁に向かって、何度も叫んでいたんだ。そんな暮らしを2年も
続けながら・・・。

だけど私にも、ようやく転機がおとずれた。16歳の冬のことだった。

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2004.06.12

熱血!暴走族自伝~PART1

時々、自分の過去を懐かしく振り返ってみたくなる時がある。基本的にはプラス
志向の自分だが、過去を振り返ることで新しい自分を発見できることもある。

私は小学生の時から負けん気が強く、親にもよく反発していた。叱られたら反省
するどころか益々親に反発心を抱いていった。学校の先生にも毎回、口ごたえば
かりしていて、その頃から要注意人物だった。

そのくせ、いつもクラスの中心人物で、リーダー格や仲間を大事にする気持ちは
人一倍強かった。

そう、私は大人たちが嫌いだった・・・。大嫌いだった・・・。祖母を亡くした時から。

小学校4年生のとき、自分のことを1番理解してくれ、かわいがってくれた大好き
な祖母が他界。両親が共働きだったせいか、祖母といる時間の方が長かった。
だから、両親よりも祖母の方が私には「親」以上の存在感の大きさを感じていた。

祖母の通夜の日、「ばっちゃん、私をおいていかないで!」と泣き叫んでいたのを
今でもはっきりと覚えている。

中学生になった。新しい友達にも馴染めず、これからめぐり来る受験戦争、異性の
こと、うまくいかない家族、全ての周囲の事情は私に敵意を抱いているかのように
思えて仕方なかった。そんなやり切れない・無気力な生活の中、中学校へ入学し
てからわずか3ヶ月で”登校拒否”になった。

担任の先生でさえ受け付けなかった。大人が信じられなくなっていたから・・・。

登校拒否になってから数ヶ月、街をブラブラしている時に俗にいう「ナンパ」に引っ
かかってしまい、その日のうちに数人の男たちと意気投合してしまった。

その男たちは”暴走族”の一員だった。まったく家に帰らない日々が続き、私は
いつの間にか”暴走族”の一員となっていた。捜索願いが出され、警察に見つか
り、一度家に連れ戻させたがすぐに、族の仲間のところに帰った。

族での生活は楽しかった。なんにも考えなくて良かったから。無免許でバイクを
乗り回し、車も運転。時にはバイクも盗み、町中を爽快なスピードで流す感触は
やればやるほど快感になっていく。同時に酒、たばこ、シンナー、けんかに溺れ
自滅寸前が自分でも分かっていた。心の奥底では「私が望んだ生き方ではない」
と思いながらも・・・。唯一、麻薬に手を出さなかったことだけは救いだった。

お金なんてあるわけないから、恐喝・カツアゲ・万引き・食い逃げの繰り返し。
家のキャッシュカードも盗んできて、50万や100万単位で銀行から引き出すこ
ともしていた。サツに何度も補導され、指導を受けることも少なくなかった。

けんかも強くなり、どんどんのし上がっていった。

ついにはR族と呼ばれる暴走族のもう1つの集団 レディースの最高頭(かしら)で
ある総長へと就任
。R族1000人の頭、ヘッドである。

異例の大抜擢を受けたほど、当時の私はみんなからかなり恐れられていた存在。
社会や大人たちに向ける敵意な腐りきった目は、誰もが恐怖心を抱いた。
自分より目上の人間でさえも敬語を使い、野郎どもにも一喝するほど風貌があっ
た。その分、仲間をとことん大事にした。かわいがった。仲間のためなら「死ねる」
と本気で思ったほどである。要はこわいもの知らずの人間へと成り上がっていった
のである。だから、仲間や子分、族関係の人たちから「あねさん」「ねえさん」と言
われ慕われた。

私、14歳の秋のことだった。

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